昨晩、お世話になった「友」の奥様の通夜に行ってきました。

享年42歳。

まだ、小学生の可愛い女の子が二人いて、「これから」というときの死。

誰にでも訪れ得る死。

でも、若すぎる死に多くの友達と、家族が悲しむ場に立ち会って

ホント胸が痛かった。


最近、自分が死んだら、伴侶が死んだら、こどもが死んだら、ということを考え出すと、眠れなくなるときがある。

誰にでもあることなんだろうけど、

この当たり前の「不安」に、確かな答えが出せずに居る自分。




友の気丈にも沈痛な表情がいつか「自分も歩むかもしれない道である」ことを考えながらなにもできなかった自分に向き合うのがつらい。


今日のオバマ候補の勝利宣言をみた。


家族を、パートナーを支えとして「彼女らの支えがなければこの勝利はなかった」と演説したオバマ次期大統領の声は全米を揺るがす勝利宣言の一節だ。


ただ、圧倒的な巧みな弁舌の前に圧勝した今回の劇は、ケネディ大統領の暗殺事件を脳裏に浮かばせてしまう。


このオバマ氏も、その家族も暗殺事件のターゲットになるかもしれない。


そんな不安は彼は抱かないのだろうか。家族が危機にさらされるのを顧みずに政治はできないのであろうか。


そんなことを考えながら、亡くなった友の妻の写真を思い浮かべる。

無念と不安とを抱えながら亡くなる死に、ただただ冥福を祈るだけだ。


私はできることをやるしかない、変革をできうると革新をもったのが今夜だ、というオバマの声と、今日はご会葬有難うございました、という沈痛な友の声が重なり今日もまた眠れそうもない。

政治の助けうる家族とは、人とは、命とはんなのだろうか、と。

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