ニューヨークのテロ事件から丸5年が経過しました。
毎年この時期になると思い出します。
ちょうど5年前私はニューヨークを訪れていました。
妻との結婚記念日は9月11日。丸3年を経過するこの記念日に夫婦だけの旅行を楽しうと、ニューヨークの知人をたずね、新婚旅行で訪れたナイアガラの滝を見て、ニューヨークとアメリカの政治行政の中心地であるワシントンを見学する旅行を企画していたのです。
私たちは夏休みをこの日にあわせ、確か現地時間の9日にニューヨーク入りしていました。
10日の日は強行軍で、まず朝早くから飛行機で移動してナイアガラを訪れ、カナダにも行き、その日のうちにニューヨークに帰ってくる日程。飛行機が滑走路の関係で運行が2時間程度遅れホテルに帰るのがだいぶ遅くなりました。
11日は朝早くから自由の女神やWTCを見学する予定でいましたが、
その前日の強行軍での疲れと慣れない時差ぼけとで、朝は1時間程度寝坊してしまったんです。
妻に怒られながらもなんとか準備を終えて、タクシーでホテルを出発しました。ちょうど通勤時間帯で混雑し始めたマンハッタンの中心街を走るこのタクシーのラジオから、「two palanes crashed…」という声が流れてきました。
最初は「二機の飛行機が空中で衝突した」と理解しましたので、タクシーの運転手に「どうするか」聞かれてもそのまま島南部に向かうようにお願いしました。
やはり「他人事」と思ってしまった部分もあったのだと思います。
しかし、車が島の東部を迂回して島南部に到着するころになって、高速道路上からぽっかりと穴の開いたWTCビルを見たのです。
このころから交通規制も敷かれ始めたようで、タクシーも引き返さざるを得ない状況になりました。
5番街まで引き返して、タクシーを降りた私たちはまだ「観光できる」と思っていたのですが、国連本部を訪れた際に「TVを見てないのか!」と怒られ見学拒否をされました。今考えれば当たり前ですが、状況をよく飲み込めていない私たちは釈然としないまま朝食をとり、観光をしながらホテルに歩いて帰ろうとしました。
が…お店は全て閉まっているし、マンハッタン島南部には交通規制がしかれて入れず、仕方なく中心街にいたったときに、街角の大スクリーンで何度も飛行機がぶつかる瞬間を放映しているのを見て、初めて事の重大さに気がついたのです。
それから急いでホテルに帰りました。旅行社から安否確認の電話がきたのはその日の夕方だったと思います。
この事件がおきたときのニューヨークでは、住民や観光客に対しての、緊急事態時の対処法が行き届いていたと思います。交通規制にしても、店舗の閉店措置などにしても、想定外の事態でもよく対処していたと思います。
今考えてみれば、当たり前のことからしれませんが…このような緊急事態対処が当時日本になかったことが、自分にとって大きなきっかけになりました。
9・11の報道は自分にとって生々しくてなかなか見ようとは思わない映像です。が日本人が危機意識・危機管理をもつためにはやはり報道が必要だとも感じています。
いつまでも忘れないこと、二度と起こさないこと、再度世界中で認識していただきたいと思います。亡くなった方のご冥福を心より祈念いたします。
毎年この時期になると思い出します。
ちょうど5年前私はニューヨークを訪れていました。
妻との結婚記念日は9月11日。丸3年を経過するこの記念日に夫婦だけの旅行を楽しうと、ニューヨークの知人をたずね、新婚旅行で訪れたナイアガラの滝を見て、ニューヨークとアメリカの政治行政の中心地であるワシントンを見学する旅行を企画していたのです。
私たちは夏休みをこの日にあわせ、確か現地時間の9日にニューヨーク入りしていました。
10日の日は強行軍で、まず朝早くから飛行機で移動してナイアガラを訪れ、カナダにも行き、その日のうちにニューヨークに帰ってくる日程。飛行機が滑走路の関係で運行が2時間程度遅れホテルに帰るのがだいぶ遅くなりました。
11日は朝早くから自由の女神やWTCを見学する予定でいましたが、
その前日の強行軍での疲れと慣れない時差ぼけとで、朝は1時間程度寝坊してしまったんです。
妻に怒られながらもなんとか準備を終えて、タクシーでホテルを出発しました。ちょうど通勤時間帯で混雑し始めたマンハッタンの中心街を走るこのタクシーのラジオから、「two palanes crashed…」という声が流れてきました。
最初は「二機の飛行機が空中で衝突した」と理解しましたので、タクシーの運転手に「どうするか」聞かれてもそのまま島南部に向かうようにお願いしました。
やはり「他人事」と思ってしまった部分もあったのだと思います。
しかし、車が島の東部を迂回して島南部に到着するころになって、高速道路上からぽっかりと穴の開いたWTCビルを見たのです。
このころから交通規制も敷かれ始めたようで、タクシーも引き返さざるを得ない状況になりました。
5番街まで引き返して、タクシーを降りた私たちはまだ「観光できる」と思っていたのですが、国連本部を訪れた際に「TVを見てないのか!」と怒られ見学拒否をされました。今考えれば当たり前ですが、状況をよく飲み込めていない私たちは釈然としないまま朝食をとり、観光をしながらホテルに歩いて帰ろうとしました。
が…お店は全て閉まっているし、マンハッタン島南部には交通規制がしかれて入れず、仕方なく中心街にいたったときに、街角の大スクリーンで何度も飛行機がぶつかる瞬間を放映しているのを見て、初めて事の重大さに気がついたのです。
それから急いでホテルに帰りました。旅行社から安否確認の電話がきたのはその日の夕方だったと思います。
この事件がおきたときのニューヨークでは、住民や観光客に対しての、緊急事態時の対処法が行き届いていたと思います。交通規制にしても、店舗の閉店措置などにしても、想定外の事態でもよく対処していたと思います。
今考えてみれば、当たり前のことからしれませんが…このような緊急事態対処が当時日本になかったことが、自分にとって大きなきっかけになりました。
9・11の報道は自分にとって生々しくてなかなか見ようとは思わない映像です。が日本人が危機意識・危機管理をもつためにはやはり報道が必要だとも感じています。
いつまでも忘れないこと、二度と起こさないこと、再度世界中で認識していただきたいと思います。亡くなった方のご冥福を心より祈念いたします。
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