自民党国会議員の永岡洋治氏が亡くなった。
郵政民営化の攻防を巡って、賛成派と反対派の板ばさみになり、それを苦に自殺をしたのではないか。ともいわれている。
その他、
「週刊誌に「裏切り者」として報じられていたことを気にしていた。」
「地元水海道の養鶏業者から鳥インフルエンザ用のワクチンを早急に出して欲しい、と頼まれたがそれは農水省が決めることだ、と答えた所、じゃぁ公明党に頼むからいいといわれたのを気にしていた」
「地元の特定郵便局長会から猛烈な法案反対への陳情を受けていた」
などさまざまな要因が疑われているが、遺書などはなくはっきりしたことはわからないらしい。

ここで共通しているのは、全て有権者から国会議員が注目をされていることです。
そして有権者の目にプレッシャーを受けて、日々の仕事をこなし、審議をこなし、生活をしなければならない議員が耐え切れなくなって自殺に追い込まれたという構図がわかります。

ご承知のように、議員という存在は最後は決定をしなければならない、という役割を担っています。

法律・制度を決定するときには必ず利益を得るものと不利益を被るものとの矛盾した存在が必ずでてきてしまいます。
限られたお金(皆さんからお預かりした税金・保険料)をどう再配分していくか、制度や法律が変われば、受益者と負担者が変わります。ですから当然、現場で関わる人はもとより、たいていの市民・国民に相当の変化をもたらします。

昨日この報道が出た時にいた飲食店であるお客さんが「そんなことでしななくてもいいのに」といって勘定を済ませ出て行きました。

本当に「そんなこと」なのでしょうか…。

自分の決断が市民・国民生活に大きな変化をもたらすことを私たちは知っています。そして議員はそのプレッシャーと闘いながら判断をする役割を担っています。

永岡議員がかわいそうとか、郵政の犠牲者であるとかいう議論をするつもりは毛頭ありませんが、議員の役割・存在というものを改めて考え込んだ1日でした。

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